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慈眼寺公園内には稲荷神社があって、その右側の木立の中に「子供を抱いた像」が安置されている。個人的にはかなり強い印象を受けた像なので、正確な仏像名とか成立年代とか作者について、ながいこと疑問を抱いていた。 それを解く鍵が、意外にもこの像のすぐ近くにあった。ちょうど川を挟んで像を望むような場所に、この石碑が建てられていた。以下、書き写すとこのようになる。 明治十九年有志二百二 十余人で共楽園を創設 し慈眼寺の景勝と史実 を維持して来たが谷山 市唯一の公園として観 光上市発展に資する為 め昭和三十五年谷山市 に譲渡したのである 茲に吾等の志を永く記 念する為め会員相図り 慈母観音像を市に寄贈 し後生に伝うるもので ある 昭和三十七年 慈眼寺共楽園株主一同 この慈眼寺公園は明治19年から昭和35年まで「共楽園」という組織が、所有・経営していた、ということになる。 像の正式名は「慈母観音像」。 年代については、「寄贈」という言葉が、「元からあった物を贈った」のか、「新たに作って贈った」のか、しばらくは判然としなかったが、最近『谷山市誌』という書物に目を通す機会があり、 どうも後者であったようだ。譲渡金のほとんどを記念の像の設営に費やした、という記述があった。とすれば、成立は昭和35年から昭和37年、ということになるのだろう。 作者については、おなじく『谷山市誌』によると、広島県出身の原三次という人だそうだ。この人物についてそれ以上の情報は見当たらなかった。 その後、インターネットでこの人物について何度も検索するが、まったく情報はなし。彫刻家というより、職人的な仏師だったのだろうか。原という名字と、広島県出身ということと、おそらく戦後の作品だということで、この像について新たな連想、想像がふくらんでいくのだけど。 それにしてもこの像について、なぜこうも、手探りするような感じでしか情報が得られないのか、これもまたもう一つのミステリーかもしれない。 |
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