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help リーダーに追加 RSS 慈眼寺公園の「慈母観音寄贈碑」(al46)

<<   作成日時 : 2008/03/13 17:44   >>

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慈眼寺公園内には稲荷神社があって、その右側の木立の中に「子供を抱いた像」が安置されている。個人的にはかなり強い印象を受けた像なので、正確な仏像名とか成立年代とか作者について、ながいこと疑問を抱いていた。

それを解く鍵が、意外にもこの像のすぐ近くにあった。ちょうど川を挟んで像を望むような場所に、この石碑が建てられていた。以下、書き写すとこのようになる。

明治十九年有志二百二
十余人で共楽園を創設
し慈眼寺の景勝と史実
を維持して来たが谷山
市唯一の公園として観
光上市発展に資する為
め昭和三十五年谷山市
に譲渡したのである
茲に吾等の志を永く記
念する為め会員相図り
慈母観音像を市に寄贈
し後生に伝うるもので
ある
  昭和三十七年
慈眼寺共楽園株主一同

この慈眼寺公園は明治19年から昭和35年まで「共楽園」という組織が、所有・経営していた、ということになる。

像の正式名は「慈母観音像」。

年代については、「寄贈」という言葉が、「元からあった物を贈った」のか、「新たに作って贈った」のか、しばらくは判然としなかったが、最近『谷山市誌』という書物に目を通す機会があり、
どうも後者であったようだ。譲渡金のほとんどを記念の像の設営に費やした、という記述があった。とすれば、成立は昭和35年から昭和37年、ということになるのだろう。

作者については、おなじく『谷山市誌』によると、広島県出身の原三次という人だそうだ。この人物についてそれ以上の情報は見当たらなかった。

その後、インターネットでこの人物について何度も検索するが、まったく情報はなし。彫刻家というより、職人的な仏師だったのだろうか。原という名字と、広島県出身ということと、おそらく戦後の作品だということで、この像について新たな連想、想像がふくらんでいくのだけど。

それにしてもこの像について、なぜこうも、手探りするような感じでしか情報が得られないのか、これもまたもう一つのミステリーかもしれない。

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